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  • 2024年9月24日
  • 読了時間: 3分

すっかり季節は秋めいてきましたが、実は今年の7月に東京から富山県高岡市に移住しました。


毎日のように記事を書いたり取材したり写真を撮ったりしています。


あれは確か4月の半ば頃のこと。


友人のほりたさんから高岡市が地域おこし協力隊を募集しているという情報が飛び込んできました。


ほりたさんが小矢部市に移住したのは2018年。ひょんなことから2023年末に高岡市へ引っ越し、かれこれ6年ほど。私もこの6年、富山には折々に足を運んではその魅力を知っていきました。


大自然が近くて、美味しいものがたくさんあって、伝統的な文化があって、クリエイターにとってはとても良い環境だと思います。それでも、いつか移住できたら良いなと漠然と思っていたくらいでした。


東京でやってきたような仕事をしたくてもツテがないし、車の無い自分には生活のアテも無いために、なかなか踏ん切りもつかず……。


そんな折にこの募集ですから、願ってもないチャンスでした。


大急ぎで書類を準備して、書類審査と面接を潜り抜け、有難いことに「観光PRライター」として採用して頂き今があります。


東京での暮らしは良くも悪くも手の届く範囲で完結するものだったと思います。そこらじゅうに劇場があって、いつでも何かしらのエンターテインメントがあって、何かしらの撮影仕事があるし、欲しいものはすぐに手に入る。


でも、自然がとても遠かったんですよね。東京に住んでいると、森の香りを胸いっぱいに吸ったり、浜辺を散歩したりすることは簡単ではありません。


とにかくどこに行っても人がたくさんいて、空が狭くて……。


大好きだけど、私にとっては息苦しい街でもあります。

人間に必要なのは、心静かになれる場所で自分を見つめ直したり、自然の理から美しさとは何かを考えたりすることなのだと思います。


高岡市の自宅からは海にも山にも車で30分くらいでアクセスできます。国宝や文化遺産がそこら中にあって、歴史が、文化が息づく場所なんです。

これがどんなに素晴らしいことなのか、ずっとここで暮らしてきて当たり前になっている人にはもしかしたら分からないかもしれませんよね。


私だって、東京の良さに気づいたのはつい最近でしたから。便利だなあって。


東京で生まれ育ったけれど、東京で生まれ育ったからこそ、「ふるさと」みたいなものへの憧れがあったんでしょうね。ああ、自分がずっと欲しかったのはこういう風景だったと実感しました。


こういう自分だからこそ分かることがあって、伝えられることがあるのだと思います。


高岡という街のさらなる発展のためにも、かつての自分のような人のためにも、そしてアーティストとしてこれから世界に羽ばたいていく人たちのためにも、ここから発信していきます。


そのためにも、私が世界に羽ばたかないとな……。


つらつらと書きましが、何よりも美味しいインドカレー屋さんが多いから住んだ方がいいんです絶対に。ああ、口を開くとインドカレーの話ばかりしてしまう病がまた……。

インディラの美味しさをもっと世の中に広めていかなくては。そんな使命感もありつつ、高岡に暮らしています。



  • 2024年3月12日
  • 読了時間: 2分

私が枯れた花を撮る理由と、その魅力について書きました。




写真の練習に花を撮り始めたのですが、花にも人と同じように個性があり、その美しさを表現するためにどのような角度から、どのような光で撮るかを考えることは、やはりとてもスキルアップに繋がると思います。


花とだって会話してコミュニケーションを取ることはとても大切です。生き物ですから。


お花屋さんに行って、どういう角度で、どういう表情が美しいかというイメージが湧いた花を買って帰って撮影に望みます。どうにも迷った時は「我が家に来たいひとー!(花だけど)」と心の中で花たちに問いかけて、手を挙げたひと(花だけど)を買って行きます。


最初の頃は色々な種類の花を買って撮影していましたが、枯れた花の魅力に取り憑かれてからは撮影頻度が減っていきました。それもチューリップを撮ってからは特に。


あの美しさを目の当たりにしてしまったら、仕方ないと思います。あまりにも美しくて、ため息が出るほどですもの。


これならいっそ、私はチューリップ写真家と名乗ってもいいのではないかとさえ思い始めました。最期の瞬間の、あの儚さや美しさはとてつもないんです……。


私にとっては花の葬送儀式でもあります。


ただ花が枯れるのを待つのではなくて、同じ時を過ごしたものが迎える最期を共に見届けている感覚です。



毎年チューリップを送ってくれるお友達の家に遊びに行ったら、ちょっと前に咲いていたチューリップが枯れていました。


私のためにと、そのまま取っておいてくれたそう。やっぱり綺麗だなあ。


手持ちのコンデジで撮りながら、愛でてきました。



  • 2023年11月11日
  • 読了時間: 3分

「無我夢中な人生を」というテーマのウェブメディア『むがじん』にて、「写真×言葉」というエッセイを連載しています。今回は、なぜ私がこの連載を始めたのか、そしてこれまでやってきて気づいたことなどを書いていきます。




はじまり


友人のほりたみわさんと出会ったのは2016年くらいのこと。それからあっという間に仲良くなって、むがじんを始めようと思うという話をされて、私も参加を希望しました。


ほりたさんは本業のイラストレーターとしてだけでなく、オリジナルの可愛い熊手やパーカーを作ったりと多彩に活躍しています。


そんな彼女の周りにいるクリエイター、ヒーラー、お茶屋さんに送水口博物館館長、ジュエリーデザイナー、お笑い芸人に主婦まで、様々な人たちが無我夢中なものごとについて好き好きに書きまくるZINEがむがじんです。


仕事としては旅行誌などで文章を書いたりしたことはありますが、所詮はずぶの素人。「とにかく自分が無我夢中なことについて書けばいいか」くらいの軽い気持ちでした。


一時期は季刊誌として発行していましたが、ウェブメディアとしてもスタートし、冊子は不定期刊行になりました。


媒体は変わりながらも、「マニアックなごった煮マガジン」として、様々なジャンルの記事が掲載されています。


2022年11月はデザインフェスタ参加に併せて発刊。

2017年の春、みんなで製本していたのも今では良い思い出です。当時からずっと連載しているメンバーもいれば、号ごとに新しく参加して記事を書く方も。

山梨で製本合宿が行われました。

創刊号では私の写真のはじまりについて書きました。

書きたい!けど上手く書けない!


私がむがじんで連載を始めてから、かれこれ6年が経ちました。実は最初の頃は、書いたはいいけれど人に見せるのも恥ずかしい気持ちがありました。


写真家の方のエッセイ的なものを読むのは好きだったし、自分でもやってみたかったことなのに、上手くできなくて悔しかったんですね。だからといってどんな文章が上手いのか、自分のどこが下手なのかという分析すらできませんでした。


なにせ学生時代からラノベくらいしか本を読む機会がほとんどなく、読解力も文章力も散々なものだったと思います。そんな私でもむがじんで書く機会を頂いてから、書くことについて向き合い、ものの見方も考え方が大きく変わり、読書の大切さが身に沁みて分かるようになりました。


本を読むことと書くことがいかに表現者にとって大切な力を育むのかということは、いうまでもなく明白です。表現者だけでなく、全人類もっと本を読め!というくらいには過激派かもしれません。


自らを表現するためにこそ、読書して、書きまくる!


読書による効果の一つは客観性を持てるようになること。二つめは分析する力がつくこと。そして考えたことや感じたことを言葉にするための語彙力が養われることなどが挙げられます。


人が書く文章の何が好きって、その人の視点で見た世界を知ることができるということです。この人はこんな食べ物が好きなのかとか、こんな小さなことでこんなに怒るのかとか、とても些細なことですけど、会ったこともない人の人となりが分かるって面白いものですよね。


自分でも文章を書いてみて分かったのは、何気なく通り過ぎていく日々の出来事に対して、文章を書くことで改めて観察して、そこから大切な気づきを得られたりすることなんです。


けれど、読書量が足りないと表現できる語彙力が少ないし、言い回しも単調になってしまうもの。6年経ってようやく書きたいことが書けるようになった気がします。


そんな私の写真と言葉はむがじんでどうぞ。



(急に終わりますが、ふんわり続く気がします)

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